植村直己冒険館「どんぐりbase」
竣工年 | 2021 |
所在地 | 兵庫県豊岡市 |
発注者 | 豊岡市 |
施工 | 中川工務店 |
運営 | アドバンス |
展示設計・施工 | 丹青社 |
受賞 | 2021 グッドデザイン賞 第15回 キッズデザイン賞 第23回 人間サイズのまちづくり賞 |
地図 | Map |
外部サイト | 植村直己冒険館ホームページ |
世界的冒険家・植村直己の故郷に建つ植村直己冒険館(以下「冒険館」)。数々の冒険の装備品や記録映像などを展示し、その「偉業」や「知恵と技術」、植村さんの「人と心」を後世に伝えるための拠点として、1994年に竣工した。開館から25年以上が経ち、来館者数の慢性的な落ち込みや展示の陳腐化という課題を抱えていた。また、植村さんがマッキンリー(デナリ)で消息を絶ってから35年余りとなり、彼の偉業を知らない世代も増えている。本事業では、冒険館が時代の変化に合わせた新たな役割を担い、より幅広い世代が来館して植村さんを知るきっかけづくりが期待された。
そこで、展示のリニューアルとともに、大型ネット遊具やクライミングなど、子どもたちが遊べる体験型の機能を付加する方針が定まった。雨が多く夏は猛暑に見舞われる豊岡では、屋内で体を動かせる遊び場が求められている。遊具を目的としたファミリー層が館内展示にも触れ、植村さんを知る機会とすることをねらいとした。
ネット遊具を導入した施設自体は全国的にめずらしいものではなく、安定的な集客が期待できることが認知された堅いコンテンツと言える。規模の大きなもの、ネットが何層にも重なるもの、公共施設の一部に複合されたもの……国内外に様々な実例がある中で、どのように差別化が図れるのか。どうしたらここ、植村直己冒険館ならではの遊び場をつくることができるのか。
そのひとつの答えが、この場所に固有のもの、即ち植村さんの故郷の風景を継承して25年間育まれてきた「ランドスケープ」と「遊具」を融合させること。そして、「遊具」と「建築」とを空間の中で一体化させることである。「遊具」「建築」「ランドスケープ」の3者の融合によって固有性が高まり、ここにしかない風景を実現できると考えた。
大地を切り裂くクレバスのように地形へと一直線に貫入する既存の冒険館に対して、本施設は起伏のある敷地の底にぽっかりと空いた平場にはめ込まれたような円形の建物である。景観への影響を抑えるため、建物高さは既存棟を超えないように設定し、敷地の起伏を利用した地上1階、地下1階の構成とした。両階は中央の吹き抜けでつながり、屋内においても開放的に過ごせるよう、高い天井高と大きなガラス面を持ったワンルーム空間となっている。ガラス面は日射負荷を抑えるために北向きに計画し、トイレや機械室、倉庫などの機能は全て南側の閉じられたボリュームにまとめた。
吹き抜けの上に斜面状に架けられたネット遊具は、大きな開口部を通して屋外のなだらかな芝生の斜面や棚田の跡などの周辺環境と視覚的に連続するように意図したものである。屋外の地形と屋内のネット遊具がつくる斜面とが一体に感じられることで、他の類似施設にはない、この土地ならではの固有性を獲得できると考えた。よじ登り、転げまわり、滑りおり……開放的な環境で子どもたちが自ら遊び方を発見できることを重視し、ネットは外向きに開かれたシンプルな形状としている。当初から建築・展示の区分を超えて設計を行い、ネットの支持材と建築の構造体を兼ねたり、ネット関連の金物を建築の造作に隠ぺいする調整を重ねた。ネット遊具を貫くように設けられたクライミングウォールや、軒下でのツリーイング(ロープ登り)金物も、建築の構造と一体化させている。
年齢に合わせた遊び方の選択性も考慮した。上にいくほど斜面の勾配が急になるため、子どもたちは体の発達に伴ってより高いところまで登れるようになるだろう。また、ネット下のホールには乳幼児向けの遊具も置かれ、異年齢の遊び場のすみ分けを図った。ホールでは小規模な講演等のイベント対応も想定している。
本施設は用途を「簡易宿泊所」として建築確認を行い、旅館業法上の宿泊営業許可を取得している。このことにより、屋内外でのテント宿泊を中心に、火起こし体験やアウトドア用品の扱い方のレクチャー、BBQなど、昼夜を通して敷地全体を「冒険の入口」として活用する可能性が拡がった。夜間の冒険館を探索するナイトミュージアムも始まる。
日本有数の美しい温泉街である城崎、レトロな街並みが残り若い世代の流入による活性化が期待される豊岡市街、城下町の趣深い出石、植村直己の故郷であり冒険の聖地・日高、関西一のマウンテンリゾートとなる神鍋高原……豊岡・城崎エリアは豊かな観光資源を有しており、本施設は宿泊機能の付加によって周遊・滞在の新たな拠点となることが期待される。
プロジェクトには事業のターゲット層と同じ若い世代のメンバーが多く参画した。施工を請け負った地元の工務店から新卒でこの現場に配属された所員は、子どもの頃にこの敷地へカブトムシを獲りにきたそうだ。また、冒険館の事務室を用途変更して新たにカフェを営みはじめる事業担当者は、施設の屋上をスケートボードの練習場所にしていたという。若いメンバーたちは植村さんの冒険や偉業にリアルタイムで触れていないが、植村直己冒険館には思い出があるのだ。それこそが、この施設がつくられた意義を証明する事実であり、場所が紡いできた記憶や植村さんの息吹を次の世代に引き継いでいくという今回のプロジェクトの目標を示すものだと感じた。
リニューアルを機に、この施設がより多くの人々に冒険の門戸をひらくフィールドへと成長することを信じている。