清里フォトアートミュージアム

竣工年1998
所在地山梨県北杜市高根町
外部サイト清里フォトアートミュージアム

清里は、日本聖徒アンデレ同胞会の創始者でアメリカ人のポール・ラッシュが農村青年の宿泊研修施設として昭和13年に建てた清泉寮によってその歴史が始まった。
今や清里開拓のシンボル的存在となった清泉寮は、屏風のように立つ八ヶ岳を背景に、遠く霊峰富士を望む高原に立っている。その後建てられた清里聖アンデレ教会、フォレスターズキャンプ場、聖ヨハネ保育園、聖ルカ診療所、高冷地実験農場と共に広く一般に開放され、宗教を核としたさまざまな社会活動尾の拠点となった。次第に多くの観光客を招くようになり、保養リゾート地の核ともなってきた。近年は、こうした観光客や保養客を対象にしたペンション、みやげ物屋、タレントショップなどが乱立した。特に清里駅周辺はパステルカラーの砂糖菓子のような街並みが若者の人気を呼んだ。夏のシーズン中、それは東京原宿の竹下通りの雑踏がそのまま移動したかのような風景の展開となった。しかし、バブルの崩壊、経済の落ち着きと共に、一時の熱狂も冷めてきたようだ。
一方、自然の中での美術館、音楽堂の建設も相次いだ。白樺派の資料や作品が展示されている清華白樺美術館、清春芸術村を筆頭に、エミール・ガレの作品コレクションで著名な清里北澤美術館、ヨゼフ・ボイスコレクションの清里現代美術館、田中治彦の作品コレクションを納めたア・ミュージアム・オブ・アート、アンティックオルゴールコレクションのホール・オブ・ホールズなどさまざまな美術館・博物館が自然の中に点在している。さらに八ヶ岳高原音楽堂でのコンサートや、萌木の村での野外バレエ公演なども人気があり、自然の中での芸術体験として清里の新たなイメージを定着させつつある。
「パトリ+清里フォトアートミュージアム」はこうした清里という場所の個有性と深くかかわりながら構成された。

施主である宗教団体は、開祖の生誕地であるこの地に宿泊施設を計画してきた。しかし計画を具現化させる段階でのさまざまな議論の中で、清里という場所の歴史や独自性が再考され、社会に対し積極的に開かれた施設へとプログラムが変更させていった。その結果として、保養機能の充実と共に、写真美術館の機能が付与された。こうした流れの中で常に意識されたのは、その場がもっている個有の意味や価値を理解し、建築をつくることでその場所の力を引き出すことであった。そして場所と一体化した環境のトータリティ(全体性)がテーマとなっていった。宿泊施設とミュージアムは単に併設を意図したものではない。ミュージアムに宿泊する。あるいは宿泊施設のミュージアム化といった積極的機能融合による新しい機能の発見が目指されている。そもそもアートがミュージアムというニュートラルな箱に入れられることで貨幣価値と結びつけられてきた歴史は、そう古いものではない。清里という自然環境の中での芸術体験に人気が集まるのは、場所とアートの関係が再考され始めた証左でもあり、場所のもっているトータリティ(全体性)への再認識でもあろう。
このように考えると、本来こうした自然環境の中では、既存の地形、植生を読み込みながら設計とスタートさせることがひとつのリアリティのある方法である。「植村直己冒険館」(本誌9411)ではこうした方法を採用した。しかしこの敷地はわれわれが参加した時点で、すでに今回は、既存の自然に建築を埋め込むというよりも、敷地全体を建築の内部空間と外部空間(庭)のパッチワークとして構想した。明確な領域と性格を与えられた庭は18を数える。そして緊密に内部空間と結び付いた外部空間(庭)を介して既存の自然に連なるようにした。ここではテニスコートも駐車場もひとつの庭としてデザインされ、空間の構成を担っている。このように建築とランドスケープが単にお互い干渉せずに共存するのではなく、深く干渉し融合することが意図されている。同様に、建築と家具の融合ももうひとつのテーマである。家具は狭く限定された機能を超え空間を斜めによぎり、2階に伸び、空間の骨格を揺さぶる。さらに、壁を突き抜け、庭に顔を出してランドスケープに干渉する。建築の空間構成のリズムと、内外の床の石貼りパターン、絨毯の柄までがひとつの基調音のもとに繰り返され、増幅される。都市博での文章でも書いたが、それぞれの専門分野の相互貫入を意図したものであり、分業ではない相互干渉を前提としたコラボレーションによる環境のトータリティ(全体性)の獲得こそ目指された目標であった。ランドスケープが建築の残余空間の埋草であったり、家具がク内部空間を彩る什器としてのみ扱われるのではなく、ランドスケープや家具を建築として考える視点、建築をランドスケープや家具として考える視点が、場所の力を増幅する。

この建築は一定の動線が決定づけられてはいない。多様な選択肢を持った立体回遊が建築の内外を巡っている。歩き回ることによって、重層する内部空間を立体的に体験する。中庭を貫通する階段を上ると富士が望め、空中ブリッジからは建築中央を縦断する光の街路(カレリア)を見下ろす視点が獲得できる。さらに、空中歩廊からは八ヶ岳が見渡せ、屋上に設置された天文室から満点の星を眺めることもできる。

現代的芸術のひとつとして注目される写真のミュージアムは、日本でも近年多く建てられている。その第1は土門拳、入江泰吉といった写真家個人の作品を収蔵、展示するミュージアムである。第2はオープンしたばかりの東京都写真美術館のように公共が建設し企画、展示をするミュージアムである。この清里フォトアートミュージアムは、世界的に著名な写真家、細江英公氏を館長に迎えた。神秘な輝きをもつプラチナ・プリントの収集と共に、評価の定まらない若手作家の作品を積極的に評価して購入し、永久コレクションとして後世に残すなど、写真表現に情熱を燃やす青年たちを励まし、育てる機能をもっている。さらに、インターン、ボランティアの参加、ワークショップ、講演会、友の会など多くの人びとと芸術活動を共にする開かれたミュージアム、運動体としてのミュージアムが目指されている。そうした意味から第3の写真ミュージアムと呼べよう。基本理念の第1に「生命(いのち)あるものへの共感」が挙げられている。「生命(いのち)」というトータリティ(全体性)への、同じく生命(いのち)ある存在である人間というトータリティ(全体性)の共鳴にほかならない。