聖林寺 観音堂

竣工年2022
所在地奈良県桜井市
地図Map
施工者株式会社中尾組
受賞照明デザイン賞(日本照明学会)
AACA賞(第33回) 奨励賞(日本建築美術工芸協会)
アジアデザイン賞(香港)
iF DESIGN AWARD 2024(ドイツ)
外部サイト聖林寺(公式ホームページ)

奈良県桜井市、聖林寺の国宝・十一面観音菩薩立像(以下、観音像)を安置する観音堂の改修・増築計画です。
既存の観音堂は、昭和34年に日本初の鉄筋コンクリート造による国宝の収蔵庫として建立されました。竣工後60年余りが経過し、現行の法令基準に沿った耐震補強やコンクリートの経年劣化への対応、また文化財保護の観点から末永く観音像をお守りするためのより良い環境整備が求められました。

観音像はかつて大神神社の神宮寺である大御輪寺の本尊として祀られていましたが、慶応4年に神仏分離令により聖林寺に移されたとされています。
大御輪寺において、観音像は正堂と礼堂が並び立つ「双堂(ならびどう)形式」の本堂に安置されており、参拝者は礼堂の低い位置から、正堂の観音像を仰ぎ見ていたようです。
観音堂は文化財保存のための「収蔵庫」というだけでなく、信仰の対象としての観音像と参拝者が向き合うための「祈りの空間」です。私たちは、観音像が大御輪寺に安置されていた当初の双堂形式を参照し、観音像と参拝者との関係を再現することを試みました。

文化財の収蔵環境を整えるためには、保管のための「収蔵庫」に庫内外のバッファーゾーンとなる「前室」を附することが求められます。そこで、収蔵庫を正堂(内陣)、前室を礼堂(外陣)に見立て、参拝者が前室から収蔵庫の観音像を仰ぎ見るような関係を計画しました。観音像はやや前傾姿勢で伏し目がちな姿をしており、低い位置の前室から拝むとちょうど視線が合います。

前室からの拝観だけでなく、今回は独立免震展示ケース「硝子のお厨子」の導入により、参拝者は収蔵庫の中まで入り、今まで見ることができなかった観音像の背面や、優雅な顔の表情、衣のひだの自然な流れ、柔らかく表情豊かな手、指の造形など、あらゆる細部を 360度どこからでも、間近に拝観できるようになります。
「硝子のお厨子」には透明度の高い特殊なガラス(高透過ガラス+低反射コーティング)が用いられ、骨組みもなくガラスのみで自立しています。そのため、鑑賞者にガラスの存在をほとんど感じさせません。
下部の免震台は南海トラフ、奈良盆地東縁断層帯、神戸波(阪神淡路)の3つの地震波を想定したもので、災害から観音像を守ります。
美しく、文化財を保護する高い気密性を有し、それらを実現する特殊な開閉機構や優れた免震性能を持つこの独立免震展示ケースは、ドイツに本社を置く展示ケースメーカーであるグラスバウハーン社と、免震システムに国内外で多くの実績を有するTHK株式会社との協働により製作されました。

観音像の像高は台座も合わせると約3mもの大きさになります。改修に際しては、像高にふさわしいゆとりのある空間の気積を確保するため、既存の収蔵庫の方形屋根に内接するようなドーム型(半球型)の天井を計画しました。このドーム型の天井は、宇宙を象徴する「天蓋」を表現したもので、観音像と参拝者がひとつに包み込まれるような新鮮な拝観体験となります。
天蓋の端部に設けられた間接照明が拡散光を空間全体にやわらかく行き渡らせます。また、半球型を水平より15°傾けることで、観音像の背後からも光背のように光が差し、特徴的なプロポーションが浮かび上がります。
高台に位置する観音堂には、これまで本堂からの長い階段でアクセスするしかなく、身体の不自由な方は参拝が困難でした。今回の工事では新たに「裏参道」としてスロープ路を設け、車いす利用者の参拝が可能になりました。前室に設けられたベンチに腰かけて穏やかに観音像を拝んでいただくことができます。

「祈りの場」として心安らかに観音像と対面できる環境づくりのため、内装にあたたかみのある木材を使用することをご住職からご要望いただきました。桜井の木材といえば吉野杉です。材料選定に際して吉野の山林を視察する機会をいただき、節が少なく緻密な特有の木目が現れる理由がよく理解できました。
吉野杉は前室の壁とベンチに赤身材、収蔵庫の床に白太材が用いられています。2つの部屋で材料を明確に使い分けることで、素材が引き立て合い、空間にメリハリをもたらし、参拝者の体験がより印象深くなるよう意図しました。
また、外壁は吉野杉を型枠に用いた打放しコンクリートとしています。特に、前室の東側の曲面の壁は、吉野杉の型枠を縦方向に張った繊細に波打つ幕のような形状とし、外界との「結界」を表現しています。吉野杉を型枠に使うのは初めての試みですが、吉野杉に特有の木目は、コンクリートに転写されても生き生きと表れています。

一般的に、打設後のコンクリートからは文化財に悪影響を及ぼすアンモニアが生じるため、収蔵庫の新築計画ではそれらを抜くための「枯らし期間」を設けます。竣工後に空調を運転し続け、有害物質が抜けてからようやく文化財の搬入が可能となりますが、そのような観音像の長期のご不在はお寺の負担も大きいことから、本計画では新築ではなく既存の収蔵庫を耐震改修する方針としました。また、前室と風除室は今回の工事での増築となりますが、収蔵庫を正圧、前室・風除室を負圧とし、汚染空気が収蔵庫に流入しない空調計画とすることで、上記の枯らし期間を短縮し、観音像が各地の展覧会(※)を回られた後に速やかにお寺へお戻りいただけるようになりました。
※観音像は工事期間中に東京国立博物館(令和3年6月22日~9月12日)、奈良国立博物館(令和4年2月5日~3月27日)で開催された特別展「国宝 聖林寺十一面観音——三輪山信仰のみほとけ」を巡回。

収蔵庫の耐震改修は、主に浮き床を支える柱脚部分の補強と、中性化の進んだ鉄筋コンクリートのアルカリ性への回復を行っています。コンクリートは打設当初は強アルカリ性ですが、大気中の二酸化炭素と触れることによる経年変化で次第に中性化していきます。コンクリートが中性化すると、内部の鉄筋表面の不動態被膜が破壊され、鉄筋が腐食・膨張することでコンクリートにひび割れやはく離が生じます。改修前の収蔵庫も、躯体にコンクリートのはく離が見られ、鉄筋の一部が露出している状態でした。 以上のような状況を改善し、コンクリートを健全なアルカリ性の状態に戻すため、「再アルカリ化工法」を実施しています。これは、コンクリート表面にアルカリ性溶液と電極(+)を設置し、コンクリート内部の鉄筋(-)との間に通電することでアルカリ性溶液を鉄筋周辺まで電気浸透させる工法です。国内ではJPタワー(旧東京中央郵便局)や大阪城ほか多くの実績を有しています。

時代の移ろいの中でさまざまな人の尽力により現在まで守られてきた観音像。これからも末永く受け継がれていくことをお祈りします。